恥ずかしいという意識に関して
"恥ずかしさ"
必要だと思う反面、何とも面倒臭い機能ともいえる。
恥ずかしさがなければもっと自由に行動できるのにと思ったことは、誰しも一度や二度だけではないだろう。
恥ずかしさをわかりやすく極端な例で考えてみるが、『羞恥プレイ』といって恥ずかしさを快楽として楽しむ大人の遊びがある。
これを楽しむ人たちは恥ずかしくて知られたくないといった反面、自分のすべてを知って欲しいという欲求を満たそうとしている。
それが快楽につながるか否かは調教の熟練度によるものだが、それは今は関係ない。
知られくない意識と知られたい欲求の二律背反がそこにはある。
また、『知られてもかまわないことを知られること』と、『知られてはいけないことを知られること』では満足度が大きく違ってくるだろう。
前者は当たり前のことで、所謂単なる自己顕示欲求のことである。
後者の方は下手をすると不快感が勝ってしまうかもしれないが、それは強い刺激となってくるだろう。
刺激を受けることは何よりもいい。
ただ恥ずかしがりですぐ赤面をしてしまう人にはなかなか高いハードルであろう。
恥ずかしさよりも強い行動意欲を持って、この羞恥プレイ(いやらしい意味ではなく)を実行する事をお勧めする。
そして私は恥ずかしいと思いながら、この駄文を投稿して赤面をしてしまう。
質問の本質とは
今まで会話の中で聞かれたことしか答えていなかったが、それ以上におせっかいなくらい詳細にしゃべったほうがいいのではないかと最近になって思う。
サービス精神などというけどそれは本当に相手が知りたい情報なのか疑問にも思ってしまう。回答者にそれを求めるのではなく、質問者がやるべきなどと思ったりしてしまう。
ただし、それができない状況が存在したりする。また、質問者の力不足である状況も考えられたりする。そのようなときはこちらから質問内容の本質を察して回答することを心がける必要がある。第3者視点ではそれができているが、回答者視点では質問の本質を見抜いていないといった場面もよくある。
質問内容の本質を見抜くことは常日頃から気をつけておかなければならない。そして、短い言葉でできる限り正確で分かりやすい情報を伝えること。
こんなことを考えたところで、結局のところ慣れてないとできないだろうなあ。
思考をアウトプットするということ
子供のころ人と話をしていて、この人はなにも考えていないじゃないかと思えるくらい中身のない会話に苛立ちを感じていた。今になって思えることだけど、見方を変えて相手から見ると、自分と同じような事を考えていたかもしれない。きっとそうだろうな。
実際にはよく考えて話しているが、その考えた内容を正確に相手に伝えていたかはわからない。伝えたい内容を伝えられないことが一番つらい。
最近よく思うことだが、相手が言った内容をすべて理解していなくても、あるいは少し勘違いしてしまってもある程度会話は成り立ってしまうのではないかと思う。誤認識のまま会話が成り立ってしまうのはなんとも物悲しい。
かくいう僕はかなりの話下手で、よく相手が勘違いしているなあと思っても、説明するのが面倒でそのままスルーして会話を進めてしまう場合がる。そうなってしまうと本当に伝えたかったことと絶対に伝わるはずがない。
人の考えが全てわかるわけはないが、できる限り正確に相手に知ってほしいし、知りたいと思う。その考えの深浅は別として、考えを伝える大切さを身にしみて感じている。このブログでは現実の会話では伝えきれない部分も含めて、考えが通じるように努めていきたい。
はじめに_読まなくていい説明文
1.はじめに
とりあえずはじめてみた。
しくよろ。
2.このブログについて
何を書くか決めてないので、試験的に何でも書いていくつもり。
主に僕の思考のアウトプットとして機能してくれたらいいなー。
それが誰かに読まれる。それだけで嬉しいと思う。
3.ブログタイトルについて
とりあえずで「徹夜で仕上げろ」とつけてみた。
なんでもやっつけ性分の自分にあっているかなと思ったので。
それからちょっと前までこんなこと言われそうなブラックなとこにいたので。
ちなみに自分は他人にこんななことは言いませんよ。
4.おわりに
飽き性な自分は三日坊主で終わりそうではあるが、細々と長く続けていきたいなー。
よしなに。